「眺望的ナル気配」レポート#2:6つのキーワードがつなぐ「まち」と「人」

日時:2020.11.15


6つのキーワードがつなぐ「まち」と「人」

アンケートから生まれた6つのキーワード

――今回の企画ではまちの方々へのアンケートをもとに核となる6つのキーワードを決めたと伺いました。

もともと今回は、商店街の『1日の時間』と『まちの歴史』、『人の歴史』、『家の歴史』を並べながら商店街を描きたいと思っていました。なのでアンケートやリサーチでは祝祭や原風景、過去の記憶について語っていただき、みなさんの回答をチーム内で整理しながら「通過」「眺望」「カゴをあむこと」「灯火」「まぼろし」「ハレ」という6つのキーワードにたどり着いたんです。

――今回の「移動祝祭商店街 まぼろし編」のコンセプトとも直接的につながりそうなものもあれば、そうでないものもありますよね。たとえばひとつ目の「通過」は、昨年のF/Tで中村さんが行なった企画でも取り上げられていたように思います。

「通過」はもともと取り込もうと思っていたこともあり、かなり初期の段階で決まりましたね。昨年は「出前」や「流通」を企画のコンセプトに置いていましたが、商店街のなかには新型コロナウイルスの影響で宅配や出前を始めたお店もいくつかあって、昨年よりさらに商店街との関連性が強まった気がします。今年はオンラインでの発表ということもあって、〈景〉がこちらに向かってくるようなイメージも含めて「通過」という言葉を選びました。

――つづく「眺望」は、企画タイトルの「眺望的ナル気配」を想起させますね。

模型化することでまちを少し離れたところから眺める、あるいは過去や未来を眺めるという意味で「眺望」を選んでいます。記憶を思い出すことって、心のなかの風景を眺めることでもありますよね。アンケートのなかでは池袋富士塚に関するエピソードがかなり多く登場していて、富士塚からの眺めがまちの人々の記憶と強く結びついていたんです。冒険できる遊び場だったり、ひとりでいられる場所だったり、告白した場所だったり、富士山や朝日が見える場所だったり。池袋本町商店街の人々にとって、富士塚からの眺めは身近なものだったみたいで。スライドショーでは、富士塚がつくられる過程と人が登っていく過程の両方の時間を表現しています。

  • 模型制作では照明の試行錯誤も重ねられた。

まちと人のつながり

――一方で「カゴをあむこと」はほかのキーワードと少し異なっている印象を受けます。

これは制作レポート記事でも触れていた、藤工芸の職人さんがカゴを編むことと関連していますね。商店街の部屋の窓から外を眺めることでまちとのつながりが生まれていくイメージです。職人さんの部屋からいろいろな部屋につながって景色が移動していくような見せ方をつくりたくて。体調を崩してお店を閉めてしまった方がいて部屋に篭りがちになってしまったそうなのですが、まちの様子を窓から眺めながらむかし神輿を担いでいたときのことを思い出すことがあったそうです。部屋のなかにいてもまちとはつながっていること、まちをべつの角度から眺めるという意味でこのキーワードは重要でした。

――単に「つなぐ」や「編む」ではなく「カゴをあむこと」とすることで喚起されるイメージも変わる気がしました。つづく「灯火」は、まちの明かりのようなイメージなのでしょうか。

照明を使って模型の陰影をつくりたかったこともあり、一日のなかで夕方から夜にかけて商店街が「眠り」に入っていく時間を表現しようと思っていました。アンケートをとるなかでは街灯にまつわる記憶を語ってくださった方もいましたし、この街は「静」「夜は光の整列」と答えている方もいました。「光」や「影」という候補もあったのですが、まちとのつながりも含め「灯火」に落ち着きました。街路灯って商店街ごとに異なっていたりしますし、お祭りは提灯の灯火によって人とまちが道なりにつながっていくものでもありますから。

 

  • 模型を使ったスライドショーの撮影は数日間に及んだ。

通り過ぎていく〈景〉

――5つめのキーワード「まぼろし」はまさに今回の「移動祝祭商店街 まぼろし編」と紐づくものだといえそうですね。

これもかなり初期の段階で入れたいと思っていましたね。眠ったあとの夢のような時間、曖昧模糊な記憶、フィクションを詰め込んだスライドショーをつくりたくて。記憶もぼやけてくるとフィクションのようなものですし、目に見えない気配のようなものもまぼろしと言えるかもしれません。昔は祭りが近づいてくる様子がぼんやりとした気配で感じられたと語っている方もいらっしゃいました。この池袋本町(池袋村)は弥生時代の貝塚が発見されているなど、かなり昔から人の営みのある場所だったこともあり、そんなまちの記憶もスライドショーでは盛り込んでいます。

――最後の「ハレ」は、「移動祝祭商店街」の祝祭を意識したものでしょうか?

キーワード自体は「ハレ」ですが、実際はその対となる「ケ」をむしろ意識しています。祝祭って単に神輿を出すお祭りだけではありませんし、そこに参加できない人たちもいて、連続する日常のなかから祝祭のようなハレへとつながっていくともいえる。この土地の歴史やまぼろしになってしまったものすべてがミックスされて“密”な集合写真を撮るという、少し間抜けなラストをつくりたいと思っていて。

――なるほど。6つのキーワードそれぞれが、まちと人のつながりや商店街の記憶、人の営みを異なった視点から捉えようとしているように思いました。それはまさに、さまざま角度からまちを「眺める」ことでもありますよね。

アンケートやリサーチを通じてさまざまな〈景〉がわたしのなかを通り過ぎていったり、そこから広がって模型という形で捏造された〈景〉が生まれたり。実際に現地を訪れることができないとしてもスライドショーを通じて、さまざまな方向から商店街の道を歩いて眺めていくようなものをつくっていたのだと思います。そして最後に公開された映像は、〈景〉全体の道なりと眺望するものです。スライドショーと映像を通じて、この〈景〉が生まれていくプロセスが体のなかを通り過ぎていくような体験をしてもらえたらいいなと思っています。

テキスト:もてスリム / 写真:泉山朗土