「Roofing the Roof with a Roof」レポート#2:哲学の言葉は作品をどう変えるのか

日時:2020.11.12


哲学の言葉は作品をどう変えるのか

異なる視点から言語化してゆく

――今回清水さんは「哲学」という役割でクレジットされています。パフォーミングアーツのクレジットとしてはあまり耳慣れないものだと思うのですが、清水さんはなぜこの企画に参加されることになったんでしょうか?

坂本 清水さんは大学の同級生だったこともあり以前から何度かほかのプロジェクトでご一緒していたんですが、外部の視点からクリエーションを言語化する切り口が欲しくて声をかけたんです。

清水 最初は、全体のコンセプトが現場の諸事情でズレていかないように整合性をチェックする立場として参加しましたね。ただ、進めていくなかで、抑制的なやり方ではなく坂本さんがイメージしているアイデアを語り直すような役割へと変わっていきました。坂本さんのアイデアを普遍化したときにどういう問題系や思想の領域とかかわるのか考えたり、みなさんから上がってくる断片的なコンセプトをつなぎ合わせたり。言語化によって何をやろうとしているのか見えやすくしたうえで、クリエイターの方々がそれぞれの専門領域に入っていけるようにできたらなと。

――ドラマトゥルクとも違う、面白い役割ですね。企画の初期段階から参加されていたんでしょうか。

坂本 相当初期ですね。屋上を使うこともまだ決まっていなかった気がします。

清水 6月くらいかな。緊急事態宣言が出ていたころに「観ている人を観ることでえられる体験」「間接的な仕方で何かを観る」というコンセプトを聞かされました。その時点で面白そうだなと思ったのでぜひかかわりたいなと思ったんです。

  • 坂本さん

     

  • 清水さん

あいだの領域を想像するための哲学

――最初に相談されたときはどんなことを想起されましたか?

清水 坂本さんがセノ派というチームに属していることは聞いていたので、セノグラフィーや景という言葉からまず風景の哲学について調べようと思いました。ただ、風景の哲学と銘打たれているものを明示的に使うというより、間接的な仕方で何かを観ると言っていたように、「あいだ」の領域で想像力が働いているようなものを考えたいなと。見る人と見られるものの関係についてはよく論じられていますが、そのあたりから出発して哲学の問題系を絡めていくというか。順序としては、まず思想や哲学、芸術批評などで風景がどう論じられてきたのかサーベイしつつ、知覚の哲学や環境美学の領域に広げていきました。特設ウェブサイトのエピグラフでも引いていますが、メルロ・ポンティや野矢茂樹のテクストにあたったり。ただ、それはあくまでもこちら側の準備であって、企画の核となったのは坂本さんたちから出てきた話の解釈や一般化についてもっと考えていました。

――具体的にはどのように議論が進んでいったのでしょうか。

坂本 つねに打合せに来てもらって、議論を切り開くというよりはぼくらのモヤモヤに応答してもらっていました。自分たちが考えているコンセプトがどれくらい確かなものなのか、足場の硬さを確認してもらう感じというか。

清水 いろいろな議論が並行して進んでいましたよね。最初は「屋上」と「観てないものを観る」というふたつの要素や、F/T全体のコンセプトや商店街とのかかわりがどうつながっていくのかはっきりしていなかった。途中でぼくも含めて一回まとめて言語化することになり、途中で制作チーム全員でコンセプトを固めるミーティングを行ないました。それをぼくがコンセプトテキストにまとめてみたら、結果としてすべてがうまくつながっていた。

屋上の記憶に言葉を与えていくこと

――一方で、特設ウェブサイト上で公開されている「Without a Roof / 屋上なき屋上」というパートでは清水さんが選んださまざまなテキストが屋上の定点観測写真に添えられています。この企画はどのように進んだのでしょうか。

坂本 ウェブサイトをつくっていくにあたって、できあがった映像を観るための体づくりができるようなものを用意したかったんです。そのうえで、定点観測写真って基本的には毎日変わらないけれど、そのなかに小さなドラマが生まれていく。それはこの企画がアプローチしようと考えていた日常や風景というテーマともつながるなと。実際に撮影してみると、想像以上に景色が異なってみえることに気付かされましたね。もうカメラは取り外してしまったのですが、いまでもあの景色が恋しくなります(笑)。

清水 ぼくも制作期間中はよくあの定点カメラの映像を見ていて。生活のなかに屋上の風景が入るこんでくることってあまりないですが、ログインするとスマホの画面越しに屋上があるという環境は不思議なものでした。ぼくもあの景色が恋しいですね(笑)。エピグラフの部分は坂本くんから漠然としたイメージを最初にもらっていて、風景や他者と関連しそうなテキストを探していきましたよね。

坂本 エピグラフの内容としては、清水さんが最初にもってきてくれたウィトゲンシュタインのテキストが一番印象的でした。ざっくりいえば「思い出がない風景写真は第三者から見たらつまらない」と言われているのですが、いま読むとそこだけでなく前後の部分もこの作品と合っているなと。

清水 たしかにあれがいろいろなテキストをピックアップしようとする発端になりましたね。パースペクティブなしに現実を見れば取るに足らない日常にしか見えなくても、芸術家はそこにフレームを与えることでべつのものに見せてくれるのだ、と。

――今回の企画は今後どのように展開していくのでしょうか?

坂本 もう映像は公開されていますし、すでにメインとなるコンテンツはすべて出揃っています。ただ、アーカイブという意味でいま新たなものをつくっていて。じつは映像の撮影最終日に制作スタッフ以外の方を何人か観客として招いて作品を鑑賞してもらったのですが、純粋に舞台美術と客席と観客が揃っていた空間がすごく贅沢に感じられたんですよね。そのときに起きていたことを改めて清水さんにテキストにしてもらって公開しようと考えています。屋上にあったかもしれない記憶として、アーカイブしていけたらなと。

テキスト:もてスリム / 写真:泉山朗土