「その旅の旅の旅」制作座談会: 景を見出す方法、景が立ち上がる瞬間

日時:2020.11.19


景を見出す方法、景が立ち上がる瞬間

まちを捉える「感度」を上げる

――本日はみなさんの〈景〉を振り返りながら、制作を通じた発見について伺っていけたらと思います。まずはひとりずつご自身の〈景〉についてご紹介いただけないでしょうか。

とくさし わたしは場の音を聴くことにフォーカスしました。仕事柄ふだんから場の音程感を意識していて、クーラーの音は“ソ”だなとか、つい聴いてしまうんですよね。たとえばトランパル大塚で耳を澄ますと、都電荒川線のエンジン音は“シ フラット”で、バッティングセンターからカコンと聞こえるバッティング音は“ミ・ファ”で。そこに少し音を足して“彩色”を施すだけで、音楽になってしまう。今回はバイノーラル録音も活用して、その場にいるような感覚が生まれる音声を録りつつ、その調性感を補助するような音を足していきました。音の観光みたいなものを楽しんでもらえたらなと。

佐藤 とくさしさんの景、面白かったです。音源を聴いてからイヤフォンを外すと、自分がどの時制を旅しているのかわからなくなってしまって。まさに“トリップ”感が生まれるというか。

とくさし うれしいですね。時制、乱れたいですから(笑)。

佐藤 わたしはこの企画が正岡子規の紀行文から着想を得たことを受けて、正岡子規を踏まえつつも彼がぜったいにしないことをやろうと思いました。たとえば子規の句に使われる語彙をわたしの句でも使ってみたり、登場するモチーフを共通させたり。子規がやらないこととしては、子規は恋愛ネタの少ない人として有名なので一人旅でなく誰かを連れて歩く仕掛けを用意しました。ひとつの景に対してふたつの句をつくり、ひとつを穴埋め形式にすることで、同じ場所を歩く人に能動的に参加してもらう。わたしの書いた句によって逢瀬や逢引を楽しんでもらいたかったんです。

杉山 佐藤さんの作品はコンセプトがしっかりしていましたよね。旅の痕跡をまたべつの誰かが踏んでいくように、俳句が過去の作品や季語のような決まりを踏まえてつくられるのも面白い。佐藤さんの言葉がポンと入るだけで風景がまったく異なって見えるし、ドキッとさせられる。佐藤さんの景はエロいなと思ってしまいました(笑)。

佐藤 もともと「デート」をテーマとして考えていたので、エロいと言っていただけるのは嬉しいですね。今回、ほかの方の景を見ながら自分が行っていなかったまちをひとりで歩いてみたのですが、それぞれが感度の上げ方を提案しているように感じました。わたしは俳句の視点から感度を上げる方法を提案できていたらいいなと。

  • とくさしけんごさん
  • 佐藤文香さん

立ち止まることの難しさ

阿部 ぼくは都市計画や農村計画を専門に研究していることもあり、人と環境の関わりをテーマにしました。今回「迷子のトラベローグ」というタイトルをつけたのですが、東京にいると目的地がないまま迷子のように歩くことが難しくて。だからあちこちを歩き回るなかで、人と環境の関係から偶然生まれでたような会話をピックアップして記録していきました。結果的には「作品」というより架空の旅人の観察記録になったというか、フィクションの小道具をつくったような実感がありますね。

山内 東京は立ち止まれないですよね。以前ぼくが丸の内で作品をつくったときも、理由なく立ち止まるのが難しいことに気づかされました。阿部さんがつくった景のシートがあれば地図を見るために立ち止まれるわけで、その意味でも「小道具」という言い方はハマってますね。

阿部 時間の使い方を変えてもらうための試みでもありますね。10秒で通り過ぎるところに10分いるだけで体験は変わっていく。東京で過ごす時間をスローダウンさせたくて。

杉山 たしかに立ち止まるのが難しい場所ってありますね。阿部さんのログを見ていると、立ち止まりづらい場所では会話のあり方も少し異なっている気がしました。ぼくが景をスケッチで表現するなかでも、立ち止まれず何回か往復しながら描いた場所があって。ぼくは今回とくさしさんや佐藤さんのアプローチに触発されて、ただのスケッチではなく同じ景色が変わって見えるような妄想スケッチも描きましたね。ふだんのスケッチではいっさい人を描き込まないのですが、妄想の景色を描こうとすると何となく人の気配が出てくるのは面白かったです。

阿部 杉山さんのスケッチは色が入ることで印象が変わりました。ここに彩度を感じていたんだな、と空間の捉え方がわかるのが面白いですね。杉山さんの妄想の景が叙情的でロマンチックなのも印象的でした(笑)。スケッチって現場にもっていくとこの場所だとわかりやすいので、今回の企画の入り口としてすごく強かった気がします。

  • 阿部健一さん
  • 杉山至さん

さまざまな感覚からのアプローチ

牛川 ぼくは「感之八衢」というタイトルで、視覚や聴覚だけじゃなく嗅覚や味覚も含めた感覚の八衢(やちまた)に立てるような景を探しました。マイクロツーリズムを盛り込みたかったこともあり、いろいろな場所で自分の感覚を八衢に立たせていろいろな風景を発見してもらえたらなと。

杉山 八衢に立つときの迷子感は、阿部さんの企画にも通じてるかもしれないですね。この先どこに進めばいいかわからないから、勘で歩いていく感じというか。

牛川 たしかに。ぼくの景がみなさんと異なるのは、何か手を加えるわけでなく感覚を切り取ることに専念している点でしょうか。実際の制作では『豊島風土記』という本から着想を得て、知覚だけでなく歴史や地理から土地を捉えていきました。「八衢」というテーマのヒントになったのは、庚申塚の猿田彦庚申堂です。猿田彦は道案内の神様なのですが、芸能の神とされるアメノウズメを導いていて、F/Tにもつながるなと合点がいきました。

杉山 牛川さんのアウトプットはすごく面白いですよね。せんべいを食べてる音声とか、誰が聴くんだという(笑)。

阿部 あの音はみんなに聴いてほしいですね。

山内 いやあ、こうしてみなさんの話を聞けるのはありがたいですね。ぼくはいままさに制作中なのですが、一人ひとりの景を拝見すると響き合うところも多くて。今回ぼくはまず谷端川の跡に沿って約10キロ走ってみて、いくつかの地点をピックアップしながらそこで起きた架空の出来事の記憶を語りなおそうと思っています。あちこちの建物のベランダなんかを見ながら、自分がここに暮らしていたらどんなふうに過ごしていたのか勝手に妄想して回って。記憶をたどるという意味では佐藤さんの視点とも共鳴しますし、杉山くんの妄想スケッチはまさにぼくが見たかった景色だなと思いました。

見出すことと感じること

――6人それぞれが異なるアプローチをとっているのが面白いですね。制作の過程では、景をどのように見つけていくものなんでしょうか。

とくさし みなさんの景を見ていると、観光地がほとんどないですよね。なんでもない場所に見出すものが景なんだなと。今回わたしは40カ所以上の音を録ったんですが、実際に制作を進めるうえでは想像以上にいろいろな音が鳴っていることに気づかされました。いい音だなと思っていても流行歌がうっすら流れていたりすると作品には使えないし、話し声をそのまま使うことも難しい。意外と音の扱いは難しかったですね。

阿部 とくさしさんの言うとおり、景って見出すものなので何もかもが景になりうると思うのですが、人と環境のかかわりのなかから物語が生まれそうな場所が自分にとっての景だったように思います。ぼくはミクロな風景とマクロな風景が交差したり、変なスケール感のバランスが生まれていたりする場所に景を見出していましたね。

佐藤 俳句は五感のなかでも視覚が優先されることが多いんです。それもあって、わたしはまず目に見えたものを切り取るようにして景を選びました。今回つくった句のなかに「忍者」という言葉を使っているものがあるんですが、それは実際にその場でなぜか忍者の格好をしている人が歩いていたからで、そういった偶然性や事件性を取り入れていくのが面白かったです。

杉山 事件性はありますよね。わたしは今回谷端川跡のカーブに絞って景を見ていたのですが、まちを歩いていると交通事故に遭遇したりすれ違ったおばあさんに突然「あそこのパン屋まずいわよ」と言われたり、いろいろな出会いがありました。川をたどりながら時間を遡ったり想像を未来に広げたり、いまとべつの時間をつなげたいと思っていましたね。景って見出すものでもあるけれど、同時に体が感じてしまうものでもあって。今回も電柱がつくり出す影やオリンピックの旗がどこか不気味だったのですが、体が感じた不気味さをきちんと留めておかなければいけないなと思いました。

  • 山内健司さん
  • 牛川紀政さん

これからも「旅」は続いていく

牛川 ぼくはあらゆる身体感覚から景を捉えようとしていたので、杉山さんが言うような体が感じてしまう景といえるかもしれません。印象に残っているのは、トキワ通りを北西に進んで、山手通りや谷端川を越える前にある池袋坂下通り進商会でしょうか。この辺りは、地名の発祥と言われる袋池とも丸池とも言われる池があった辺りです。独特の湿気があるというか、匂いがあるというか。その商店街には豆腐屋や八百屋、肉屋がいまでも残っていて、食べものを売っているお店が近隣の市民を支えているし、お店が市民から支えられているようにも思いました。8つの景を選んだあとに知った場所なので、今回の景には入れられなかったのが心残りではあるのですが……。

山内 坂下通りは大注目ですよね。もはやすべての景をあの商店街でつくろうかと思ったほどで(笑)。「知らない横丁の角を曲がれば、もう旅です」と言ったのは永六輔ですが、まちのなかで立ち止まるだけでもう旅が始まるなと気づきました。旅が始まる感覚みたいなものが景とも結びついているなと。ぼく自身は、景を探すなかでまちの身体化について考えさせられました。小学生が自分の学区を自分の身体のように捉えているように、まちを身体化していくときにも景は生まれるし、そこから逸脱していくときも景がある。今回ぼくは谷端川を“アンテナ”として身体に叩き込んで景を探していったのですが、ほかの人との共鳴や共振を考えるうえで、佐藤さんの俳句のような一緒に旅をできる仕掛けは非常に刺激的でした。

杉山 それはまさにこの企画の根幹にもかかわっていますね。今回はわたしたちが中心となって景を見つけていきましたが、それで終わりではなく旅をどうつないでいくか考えていきたいですね。佐藤さんのつくったような仕掛けがあればほかの人も投稿しやすくなるし、もっといろいろな人に関わってもらいたい。F/Tの企画としては一区切りつくものの、このフォーマットには可能性を感じるし続けていけたらなと。感度を上げてまちを見ればちょっと立ち止まるだけでまちの知らない一面に気づけるわけで、そのきっかけをどう人にわたしていけるのか、どうこの取り組みを広げていけるのか引き続き考えていきたいと思います。

構成:もてスリム