セノ派座談会: 「移動祝祭商店街」という名の新たなプラットフォーム

日時:2021.1.30


「移動祝祭商店街」という名の新たなプラットフォーム

――今回の「移動祝祭商店街 まぼろし編」は去年とまったく異なるアプローチをとられていましたよね。試行錯誤も多かったと思うのですが、終わってみていかがですか?

杉山 ぼくの企画「その旅の旅の旅」はこれからもいろいろな人からの応答を想定していることもあって、ぜんぜん終わった感じがしないですね。その感覚は新型コロナウイルスのせいでもあって、いまもどんどん感染者が増えていくなかでいまわたしたちがどこにいてどこに向かおうとしているのかわかりにくい。今回イベント型のパフォーマンスとは異なるアプローチをとれたことは非常に面白かったのですが、一方では人が集まるわけではないので盛り上がりが見えづらく、結果がわかりづらいのは難しかったです。

坂本 難しいですよね。今回ぼくがつくったのは映像だったのでパフォーマンス作品と違って「初日」みたいな感覚もないし、正直まだ言語化できていません。今年の経験を言葉にするには、まだもう少し時間がかかるような気がしています。

佐々木 「みんなの総意としての祝祭とは」では10日間にわたってまちでプログラムを展開したので、わたしもこれまでとは感覚が変わりました。期間中もずっとトライアンドエラーを繰り返していたのですが、ひとりで悩むというよりまちの人に「どう思います?」と相談したりまちの人となんでもない時間を過ごせたのはすごくよかったです。プログラムをつくるためにコミュニケーションするより、暇な時間を一緒に過ごすことのほうが人間関係にとっては重要なんだなと。

中村 みなさんが言っているとおり、わたしも終わった感じがぜんぜんしないんですよね。9月ごろからずっと創作期間がつづいていたこともあって、まだ体から抜けきっていないというか、いまも作品のプロセスのなかにいるような感じで。わたし地元が新潟なんですけど、商店街で新潟に疎開していた方がいたり、店の名前に「越後」と入っていたり、新潟にゆかりのある方がいらっしゃって、それがきっかけで仲良くなれたのは面白かったです。ただオンライン上で作品を発表するだけだとつくって終わりになってしまうんですが、定期的にまちを歩くことで気持ちを切り替えられたのはよかったですね。

――お互いにほかのメンバーの作品を観る機会もあったんでしょうか?

杉山 すべてをじっくり観られたわけではないんですが、4人のアプローチがぜんぜん違いましたね。中村さんや佐々木さんはまちの人と交流しながらリサーチを進めていて、坂本くんはそれと異なる角度から社会と戦っていくようなところがあった。他方でぼくは「旅人」というモチーフを使うことでまちを少し外側から見ている。本当は体験会のようなワークショップをたくさん実施できたら、鑑賞する人にとっても企画の楽しみ方がもっと広がったのかなと思います。

坂本 たしかに、情報なしですべてを観ようと思うとハードかもしれないですね。ぼく自身は面白く観られるのですが、どうやってすべてを楽しめばいいのかわかりにくい側面もあったかも。去年は最後に杉山さんがひとつのパフォーマンスに集約させていましたが、今年はばらばらに開催していた分、さまざまな断片を観ていたような気がします。あとはウェブで作品を鑑賞できるのって手軽ではあるけれど、自分のなかで流れていってしまうスピードもすごく速い。(佐々木)文美ちゃんのようにまちに出て写真を撮ってもらったほうが体に体験が残っていくなと感じます。

佐々木 わたしは最終日までバタバタしていたこともあってほかの人の作品をぜんぜん観られなかったんですが、セノ派が作品をつくるときの関係性についてはもっと考えてもいいかもと思いました。大塚では「ガリ版」[編注:とびだせ!ガリ版印刷発信基地]のスペースにいさせてもらうことが多かったので彼/彼女たちの活動は自然と自分のなかに入ってきたんですが、そういう関係性がセノ派のなかでつくれたらまた違ったものが生まれたのかも、と。

杉山 そうだね。「ひとりでいる方法」をテーマにしていたし個々の方向性が違うからでもあるけれど、結果的には4人それぞれが孤独な戦いを強いられることになってしまった。チームのはずなのに孤独で、「セノ派」と名乗っているわりにはバラバラだったなと。鑑賞者からするとちょっとわかりにくいものになってしまっていたかもしれない。

中村 わたしは制作と作品公開の間に時間が少しあったのでみなさんの作品をけっこう観ていたんですが、たしかに坂本さんが言うとおり、情報量が多い分、ハードルの高い印象を感じる部分があったかもしれません。創作の過程においても、お互いのやっていることへ気軽に立ち寄れるような仕組みがあったほうがいいですよね。考えこんだときにフッと逃げ込めるような場所があったらいいなというか。

――振り返ってみると、リサーチやインタビュー、実施に向けた試行錯誤など制作のプロセスでこそ豊かなものが生まれていたプログラムだったようにも思います。

杉山 ぼくの企画はいまもまだプロセスの段階で、ようやくひとつのシステムがつくれたような状態です。たとえば今後旅人となるゲストアーティストを変えて違う場所で実施することもできるし、ゲームのフレームをつくったような感覚といえる。日本の場合、演劇って2〜3カ月集まってつくって上演したら終わってしまうことが多いけれど、今回の企画はある意味終わりがない。コロナの状況に応じてアウトプットの形式も変えていかなければいけないし、まだまだ考えることがたくさんあります。

坂本 ぼくは映像をつくったので作業プロセス自体は想像どおりだったのですが、公開時の感覚はやはり演劇と違うのだなと思いました。演劇の場合は良くも悪くもコントロールできない部分がたくさんあって、初日の公演を経て発見することも非常に多い。でも映像はどこまでもコントロールする必要があって、編集作業に携わるなかで徐々にお客さんの感覚が抜け落ちそうになることもありました。ただ、映画が撮影から公開まで1年など長い時間をかけながら編集していくように、のちのち発見することが生まれてくるのは面白いなと。今回の映像も公開自体は終了していますが、来年観るとまた感覚が変わっていきそうだなと感じます。

佐々木 今回「みんなの総意」というコンセプトをつくってリサーチしていく過程で、対面で個人と話したときの情報量がものすごく多いことに改めて驚かされました。スーパーコンピューター並みの情報量と対面している感覚があって、押し負けそうだなと思うことも多くて。さらに作品をつくるなかではメンバーの意見やディスカッションを経るので、さらに情報の深みにハマってしまいやすかった気がします。もちろんそれ自体は面白いんですが、作品を展開していくうえではウェブという空間を深く考えきれていなかったかもしれません。

中村 佐々木さんと同じく、わたしもリサーチはすごく面白かったんですが、ひとりのもつ情報量が膨大すぎて自分が引き受けられなくなってしまいそうになることがありました。もともと普段から他人のパーソナルな領域まで踏み込まないようにしていたこともあって、結果的に自分が苦手なことに挑戦することになってしまって。ただ、メンバーのみなさんと創作していくなかでわたしが当初思っていたものといい意味で違う要素がたくさん入ってきたことは面白かったですね。みんなが「セノグラフィ」や「景」について考えていることについてコメントを寄せてくれたのですが、結果的にわたしの言葉より広がりが生まれた気がします。

――今回のプログラムを経て、今後どういった取り組みを続けていきたいと思われますか?

杉山 観光と文化芸術の大学ができる[編注:杉山が拠点としている兵庫県豊岡市に県立の芸術文化観光専門職大学が2021年春新設される]ので、文化芸術から地域を掘り下げていくことを考えたいですね。今回のプログラムは実践的に使えるものでもある。まちをセノグラフィや景から見ることで、それぞれがさまざまなものを発見できる。今回阿部さんと一緒につくったことで、いい構造ができたなと思います。日本に限らずあらゆる場所で応用することで、地域間の違いや地域の問題をセノグラフィから浮き彫りにできたらいいなと。セノ派としては今後も「セノグラフィ」という言葉を広めたいし、形から新たな社会が見えるようなことができたらいいなと思っています。

坂本 ぼくも今回の屋上を使ったアプローチをべつの場所でもやってみたいなと思っています。最近はミン・ジン・リー『パチンコ』という四世代にわたって在日コリアン一家を描いた小説を読んだこともあって、「世代」みたいなものがまちに眠っていることを意識させられました。一代記や一族の話を描きたいわけではないのですが、中村さんが新潟を介して商店街の人々とつながったように、世代を越えた場所のつながりをどう描けるのか考えていきたいです。

佐々木 わたし個人としては、商店街の人たちと付き合っていくなかで調べたいことが増えてきています。このまえ「あら井」という居酒屋の人と話していたら、江戸時代の火消しの文化についてたくさん教えてくれて。お店から歴史や文化をたどっていくのは面白いですよね。一方で、セノ派全体のパッケージについてももっと考えたいと思っています。たとえば同じ作品をつくるなら場所を共有して近い距離感でつくったほうがいいかもしれないし、あるいはひとつのパッケージにまとめず完全にバラバラにしてしまってもいいのかもしれない。それぞれが担当している商店街も離れていてなかなかコミュニケーションがとりづらいので、お互いに助け合ったり知恵を出し合ったりするプロセスがつくれると作品のあり方も変わってくる気がするんです。

中村 わたしも杉山さんや坂本さんと同じく、ワークショップのような形式で今回の作品をべつのところでもつくれたらいいなと思いますし、同時にいま自分が担当している池袋本町という場所で作品をつくることについても今後はもっと踏み込んでいきたいです。佐々木さんが言っているとおり、それぞれのプロジェクトをつないでくれる場所もつくれるといいですよね。期間限定で現れる「駅」みたいなものというか。たしかにオンライン上の取り組みも面白くはありますが、オンラインだけではまだつなぎきれないものもたくさんあるなと感じます。

杉山 今回ぼくらがつくったのは作品というよりプラットフォームだったのかもしれない。このプラットフォームを使いながら、セノグラフィという言葉でパフォーミングアーツと地域社会をもっと結びつけていきたい。たとえば渋谷はどんどん変わっていていつの間にか知らない街のようになっているけれど、一方では置いてけぼりにされている古いローカルな商店街がたくさんあって、そこにも人がたくさん住んでいる。そういうまちで何が消えていっているのか掘り下げられるのがセノグラフィの視点だと思います。このプラットフォームを使ってべつの商店街へ飛び出してみてもいいし、セノ派のメンバーも自由に入れ替わっていい。コロナ禍では動きにくいこともあるけれど、ネット上だけでなく現実空間も使いながら発信していける場所をこれからもつくっていきたいですね。

構成:もてスリム / 写真:菊池良助(1枚目)、泉山朗土(4・5枚目)